佐伯市エコパークトップへ

伝統芸能

最終更新日:

■うめ秋大祭

  • 秋大祭1

    秋大祭当日の会場の様子

  • 秋大祭2

    夜神楽の様子

 宇目の最大行事として、毎年9月下旬に宇目B&G海洋センターで開催。300年以上続く、地域住民の誇れる祭りである「椿原祭典」と「八匹原祭典」を合同開催するもの。古くから伝わる多くの郷土芸能が一堂に会し、楽や舞を披露します。後継者・担い手不足の解消や、お祭りをより盛大に開催し存続させていくため、平成25年度からうめ秋大祭として合同開催となっています。


■椿原祭典

  • 椿原祭典2

    鷹鳥屋神社の境内には鷹が神社の守護者として奉られている。

  • 椿原祭典1

    鷹鳥屋神社の神輿。


  大字南田原真弓地区に本宮がある鷹取屋神社から、神社のご神体を神輿に移し、御幸行列として南田原地区の田原天満社を経由し、祭り会場で伝統芸能や神楽を奉納するお祭り。秋の実りを感謝し、五穀豊穣、家内安全などを祈願しています。以前は大字小野市の椿原祭典場で開催されていました。披露される芸能は、田原獅子、上津小野獅子、釘戸白熊、中津留楽、宇目神楽。


■八匹原祭典

  • 八匹原祭典2

    八柱神社御神輿(左奥)、蔦野尾神社御神輿(右手前)

  • 八匹原祭典

    蔦野尾神社

  • 八柱神社

    八柱神社

 大字千束の鳶野尾神社と大字重岡の八柱神社から御神輿がそれぞれ出発し、お供を従えて御幸行列として祭り会場まで練り歩き、伝統芸能や神楽を奉納するお祭り。椿原祭典と同じく、五穀豊穣、家内安全を祈願しています。以前は大字塩見園の八匹原公園で開催されていました。披露される芸能は、千束楽、酒利獅子、重岡獅子、河尻杖、塩見白熊、重岡岩戸神楽。



■千束楽(県指定無形民俗文化財)

  • 千束楽

 1527年、栂牟礼城主佐伯惟治は臼杵長景の策略により大友義鑑の不信をかい、栂牟礼を攻め追われて日向国三河内に落ち伸び、最後は三河内の新名一党により攻められて自害。乱戦の後、生き残った数名の家臣は惟治公の遺品を隠し持ち、敵陣を突破する際に、「女子どもは見逃す」との誓言があったため、槍先を野草に包み、野花を挿して女道化師に身を変え鐘太鼓を打ち踊りながら敵陣を脱出したといわれています。この故事に習い、重臣たちが踊ったものを楽化したものが千束楽であると言い伝えられています。


■中津留楽(市指定無形民俗文化財)

  • 中津留楽

 中津留楽は、千束楽を伝承したものであり、椿原祭典で奉納されています。


■田原獅子(市指定無形民俗文化財)

  • 田原獅子

 田原獅子は、1858年に岡藩の御嶽流御幸獅子舞を御嶽宮司加藤氏より伝授され、椿原祭典で奉納されてきました。笛・太鼓で賑やかに囃しながら、舞い立て、地伏舞、柱舞、笠木舞、首摺り舞、納め舞を奉納する。獅子は4頭、1頭の中に大人が3人入り交代で舞い踊る。口取の子どもは8人で、可愛らしいしぐさで獅子を導いています。


■上津小野獅子(市指定無形民俗文化財)

  • 上津小野獅子

 上津小野獅子は志賀流と称され、1844年ごろに緒方郷志賀から伝授を受け、椿原祭典で奉納してきました。明治30年年代から昭和2年までは地区内事情で中断していたが、昭和3年に青年団諸氏の発意により再興・復活を遂げ現在に至っています。


■酒利獅子(市指定無形民俗文化財)

  • 酒利獅子

 酒利獅子は江戸時代末期安政(1855頃)に清川村左右知から御嶽流獅子舞を伝授され、一時中断を経て明治39年頃に再興するため、再び清川村の神典御幸流を習得継承し、鳶野尾神社からお立ちを行い八匹原祭典で奉納されています。


■重岡獅子(市指定無形民俗文化財)

  • 重岡獅子

  重岡獅子は、 1918年に田原獅子より御嶽流御幸獅子舞を伝授され、八柱神社からお立ちを行い八匹原祭典で奉納されています。田原獅子と同じく、舞い立て、地伏舞、柱舞、笠木舞、首摺り舞、納め舞を奉納します。


■釘戸白熊(くぎとはぐま)(市指定無形民俗文化財)

  • 釘戸白熊

  釘戸白熊は、江戸時代の大名行列の毛槍練りの演技を伝え、御神輿の先伴をするもので、明治の初め(1880年代頃)に清川村から伝授されたといわれており、以降、椿原祭典で奉納されています。


■塩見白熊(しおみはぐま)(文化財未指定)

  • 塩見白熊

  塩見白熊は、江戸時代享保(1753年)に岡藩に願い出て白熊の伝授を受け、地区の阿蘇神社や八匹原祭典で奉納されています。


■河尻杖(市指定無形民俗文化財)

  • 河尻杖

 河尻杖は、江戸時代末期文政の頃(1820年前後)に弥生の荒川流の伝授を受け、いつの時代か中断し野津市村神野から伝授したが再び中断し、明治39年に佐伯臼坪の御所明神流を伝授され、現在に至ります。現在は、荒川流と五所明神の形から生まれた河尻独特の流派となっている。以前は椿原祭典と八匹原祭典の両方に呼ばれていたが、現在は隔年でどちらかの祭典のお供として杖の舞を奉納されています。


■宇目神楽(市指定無形民俗文化財)

  • 宇目神楽

 宇目神楽は出雲系御嶽流を祖とする緒方神楽より1914年に伝承され、当初は田原神楽として発足、昭和36年に宇目神楽に改名し、平成8年の一時休止を経て11年に復活し現在に至ります。五方礼始、八雲払、天孫降臨など日本の神話を題材にした12番の演目と5番の願神楽を伝承し、うめ秋大祭のみならず、県内外のお祭りやイベントに呼ばれ舞を披露されています。


■重岡岩戸神楽保存会(市指定無形民俗文化財)

  • 重岡岩戸神楽保存会

  重岡岩戸神楽は、1921年に大野郡白山村(三重町奥畑)から御嶽流岩戸神楽を伝授し、翌年の日豊本線直川~重岡駅間の開通記念式典で奉納したのが始まりです 。柴引、神遂、八雲払など古事記・日本書紀にある神話を題材にした三十三番の演目を伝承しています。各地区の奉納神楽では、10時間以上に及ぶ神楽を行うとともに、うめ秋大祭や県内外のお祭り・イベント、施設の慰問等に呼ばれ舞を披露されています。


■木浦すみつけ祭り(市指定無形民俗文化財)

  • すみをつけられる様子

    大根墨をつけて塗りあい、相手を祝福します。

  • すみつけ祭り1

    参加者全員が墨をつけあう賑やかなお祭り。

 木浦鉱山のすみつけ祭りは全国的にも珍しい祭りで、古い歴史を有する銀山でしか類似の祭りは行われていません。正式名称は「山上がり祭り」。鉱山の守り神である山の神に諸々の安全を祈願する祭りの行事として古来から旧暦の正月に行われて、現在は隔年の2月初旬に行われます。

 大幣を2本作りこれを捧げ持って、赤衣装に面を被った荒神を先頭に村中の家を舞いながら回り、生大根の切り口に鍋墨を付けたものを、村中の老若男女誰彼を問わず「ひとつ祝わせちょくれ」と言いながら墨をつけます。昔は墨つけをするのは荒神だけであったが、現在は参加者全員が仲良く墨をつけ合う、にぎやかな祭りとなっています。


■落水的はり祭り(市指定無形民俗文化財)

  • 的はり祭り1

    一杯二拍手して御神酒をぐっと飲みほした後、的に向かって矢を射る。

  • 的はり祭り2

    祭りが終わった後は近くでどんど焼きをして、焼き餅をいただく。

 木浦鉱山の先、落水区的はり祭りは江戸時代から伝わる珍しい祭りで、旧正月16日に行われている。直径約1mの割竹と障子紙などで作った的の表に「東・西・南・北」を、裏の中心に「鬼」の文字を書き、弓と矢を3本を用意します。祭りが始まると、山神様に御神酒を供えて、弓矢で的を撃ちます。参加者全員が打ち終えると、長老が矢の当たった位置で、農業や林業、狩猟などの良否を占い、今年の作柄や諸々の方位、注意事項などを説明し、中心の鬼を射抜けば、自分の願いを叶えられるともいわれています。


■宇目の唄げんか(大分県民謡)

  • 唄げんか

 木浦鉱山がまだ賑わっていた江戸時代頃、子守奉公に出されていた女子たちが唄ったもので、「あん子面見よ~目は猿まなこ~ヨイヨイ~」といった掛け合いでけんかするような即興唄となっています。泣きやまない赤子を幼い身体に抱えながら、奉公のつらさを紛らわせようと唄ったのが始まりといわれて、ユーモラスな歌詞の中に哀愁を帯びた唄は、聴く人の心を捉えて離さないものとなっています。

このページに関する
お問い合わせは
(ID:3647)
佐伯市
佐伯市役所 地域振興部 エコパーク推進室(宇目振興局内)

〒879-3205大分県佐伯市宇目大字千束1060-1
TEL :0972-25-4118

Copyright(C) City of Saiki,All rights reserved.