目次
1.二之御丸惣地引之図
2.御城幷御城下絵図
3.豊後国佐伯城破損之覚
4.御城下分見明細図絵
5.三御丸五歩壱間之図
6.御山城之図
7.明治4年頃佐伯藩時代屋敷図
1.二之御丸惣地引之図
絵図全体
トレース図
・作成:享保年間(1716~1735)
・法量:135.5cm×204.0cm
・所蔵:佐伯市歴史資料館
・解説
宝永6年(1709)~享保13年(1728)の修理で作成されたもので、享保12年(1727)頃の作成か。
全体にヘラ等による罫線が引かれているが、絵図中央にある居宅部分は角度が異なり、一旦切り取って貼り直している。
二の丸の建築物の配置を描き、柱位置を■で示す。二重櫓と大型の平櫓は、壁の一部が石垣天端から外側に出ており、懸造り(かけづくり)であったと考えられる。
2.御城幷御城下絵図
絵図全体
山城部分拡大
三の丸部分拡大
・作成:元文3年(1738)
・法量:281.8cm×243.6cm
・所蔵:佐伯市歴資料館
・解説
佐伯城と城下町の全域を詳細に描く。曲輪内部の建築物の外観を描く唯一の図。
捨曲輪を描き、それぞれに長さ・幅を記入する。雄池・雌池や、北出丸と池をつなぐ城道も描く。
三の丸御殿の裏手には庭園があり、池と園路が描かれる。櫓門の前面と御殿との間は石畳となる。
登城道は、三の丸と西出丸・本丸外曲輪をつなぐものと、南東の武家地と本丸外曲輪をつなぐものの2本。
※展示室の大型モニターで、さらに詳しくご覧になれます!
3.豊後国佐伯城破損之覚
・作成:延享2年(1745)
・法量:82.5cm×81.9cm
・所蔵:佐伯市歴史資料館
・解説
絵図が作成された前年の風雨洪水により本丸外曲輪の石垣・塀に被害が出たため、修理を願い出たもの。
実際には、絵図に記されている被害箇所以上に、その他の建築物にもかなりの被害が生じていたことが、文献史料からわかる。
4.御城下分見明細図絵
・作成:文政9年(1826)
・法量:392.0cm×302.0cm
・所蔵:佐伯市歴史資料館
・解説
佐伯城の描写は省略され、山頂は「御本城」、麓は「三之御丸」と記されている。
城下町の町割は詳細に描かれ、藩用地・武家地・町人地・寺院が色分けされ、屋敷一軒ごとに居住者と敷地面積が書き込まれている。
※展示室の大型モニターで、さらに詳しくご覧になれます!
5.三御丸五歩壱間之図
・作成:明治初期
・法量:91.0cm×108.5cm
・所蔵:個人・佐伯市歴史資料館寄託
・解説
万延元年(1860)に三の丸御殿の御広間など表向きを建て替え、文久2年(1862)から翌年にかけて奥向きの建て継ぎを行ったと記載する。
作図者の項目に「大分県」とあることから、明治以降に複写したものの可能性が高い。三の丸櫓門から御殿の玄関までは、石畳が描かれる。
6.御山城之図
・作成:明治初期か
・法量:77.6cm×163.2cm
・所蔵:個人・佐伯市歴史資料館寄託
・解説
作図者の項目に「大分県」とあるため、明治以降に作図されたもの。
曲輪の形状などは陸軍省作成「豊後国佐伯城図」(富原文庫蔵)と同一。
陸軍省の絵図を下図としたものか。櫓・塀は下見板張で描かれる。曲輪名や施設名の記入はない。
7.明治4年頃佐伯藩時代屋敷図
・作成:大正4年(1915年)
・法量:55.5cm×55.8cm
・所蔵:佐伯市歴史資料館
・解説
大正4年に、聞き取りなどを実施して明治4年(1871)頃の城下町の様子を復元したもの。
山頂の曲輪は輪郭のみが描かれ、三の丸から西出丸へ至る登城道がある。
三の丸は御殿と御納戸倉・御書物倉・御書物奉行所の輪郭と、御殿裏の池、稲荷社が描かれる。
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