大砲のように使用された大鉄砲
戦国時代に鉄砲が導入されて以降、日本では、ヨーロッパで見られないような様々な種類の火器が作られるようになりました。
その1つが大鉄砲です。
大鉄砲を発射する際は、安定させるため、銃身を台などにすえて使われたと考えられます。
大鉄砲や石火矢といった大型の火器は、主に城郭や軍船を破壊する目的で使用されました。
大鉄砲は、築城や他の武器を含む軍事技術が急速に発展した時期に作製されたものです。
特に佐伯藩の大鉄砲は、文献史料に裏付けられた中で最も古い実物資料として、学術的にも価値が高い資料といえます。
藩の内外で受け継がれる高政の砲術
鉄砲は戦国時代の終わり頃までには、多くの戦場で使用されるようになりました。
この中で砲術は武芸の一種として発達し、様々な流派が生み出されました。
高政は、紀州(和歌山県)の津田監物の子または弟子から津田流の鉄砲術を学んだと考えられています。
以後佐伯藩では、津田流の砲術が尊重され代々受け継がれました。
また高政は、大鉄砲の砲術として伊勢守流を立ち上げ、他の大名家からも教えを請われました。
例えば、佐伯藩の記録に仙台藩(宮城県)伊達家に教えを請われたと記されたり、伊勢桑名藩(三重県桑名市)松平家へ与えた、伊勢守流の技法を書いた秘伝書が残されているなど、伊勢守流が藩外で受け継がれた様子が見て取れます。
参考文献
国立歴史民俗博物館『歴史のなかの鉄炮伝来』(2007年)