今から35年前のお話です。当時の上浦町にある日章旗が戻ってきました。これは、太平洋戦争中、フィリピンで戦死した上浦出身の安部光(こう)さんが、出征の際に地元の方々から寄せ書きを添えて贈られた日章旗です。戦死者の遺骨や遺品は、遺族のもとに戻らないことも多く、戻ってきたとしても戦友などに託したわずかな遺髪や戦死したであろう付近の小石のみだった…などという話もよく聞きます。そのような中で、どのようにしてこの日章旗は戦後40年以上を経て、遺族のもとに戻ってきたのでしょうか?
昭和62年、当時18歳の日本人高校生が留学先のアメリカ・ウィスコンシン州で歴史の授業を受けていました。その時、授業の教材として使われたのがこの日章旗でした。寄せ書きの中に自分と同じ名前を見つけた高校生は親近感を覚え、日本に持ち帰り遺族に返したいとの思いから、歴史教師に日章旗を譲ってもらえるよう頼みました。教師も日本の歴史についてよく研究しており、その心情に理解を示し譲渡を了承しました。その際、日章旗は教師の友人がフィリピンの戦場から持ち帰り、それを譲り受けたという経緯を説明されたそうです。
帰国後、高校生は靖国神社に依頼して、日章旗に書かれた安部光さんを探しました。すると、靖国神社の記録から同姓同名の5名が見つかり、日章旗の持ち主がそのうちの一人、上浦出身の安部光さんだと判明したのです。この情報は、靖国神社から大分県護国神社を介して安部さんの遺族に伝えられました。遺族からその話を聞いた松本英明町長は、上京の際高校生の両親から日章旗を受け取り、町に戻るとすぐに安部さんのお母様の元に向かったそうです。こうして、日章旗は、故郷に戻ってきたのです。
以降、日章旗は遺族のもとで大切に保管されてきましたが、この度平和祈念館やわらぎに寄贈される運びとなりました。遺族の思いを引き継ぎ、今後は平和祈念館やわらぎにて大切に保管し、平和教育に活用させていただきます。